2009年4月28日火曜日

食堂かたつむり

 日本で話題になっているこの本を読んだ。
あっという間に読めてしまう本だ。それだけ物語に引き込む面白さがある。  登場人物は不思議なキャラクター。物事に執着がなく、人生の人生を自分で切り開く気力が無さそうに描かれている。なのに、自分を持っていてこだわりがある。25歳にして料理の達人。こういう人が実際に居るとは思えない。何かを象徴しているのか?

小説の中で使われる形容は私にとっては新鮮な感じがする。「外には美しい夕焼け空が広がっている。まるで、地球をそのまま巨大なはちみつのビンに沈めたみただった。」とか「空には玉ねぎの薄皮みたいに半透明の薄い雲の膜が、ぱたtりと貼り付いている。」とかの表現だ。

 たんたんと進む物語は最後で思わぬ展開をする。なんとも不思議で魅力的な話しであった。

DSの注文が来る?

 日本へ出張した折、久し振りに地元のJazz喫茶に顔を出した。
景気のこと,Charlieのこと,Scotlandのことなど話しをした。去年DSを導入したことも話をた。

 最近メールが来て英国でDSを購入して送ってくれないかとのこと。どうやらDSに興味を持ったようだ。円高なので日本で買う値段の半額程度で買えるのだ。今度の週末にEdinburghのAudio shopに行ってみよう。DSは2台目だからなんかサービスしてくれるかなあ?

 Jazz喫茶のマスターはMac使いなのでセットアップに私がアドバイスできることは無い。LinnのForumを紹介したのでそれを見て自力でやってもらうしかない・・・

 それにしてもLinn Japanは値下げをしないね。これだけポンドが下がっているのに,,
 会社の財務状況はわからないが普通なら仕入れ値が下がれば販売価格に反映できるはず。
できないということは累積債務があるのだろうか?

FLACエンコーダー

 日本に出張した時LP(アナログレコード)をwavで録音したFileを持って来た。
単身赴任した際、wav化したものをaacにしてiTUNEに入れて聞いていた。しかしwavのfileが残っていたのだ。

 昨日これをFLACに変換してLinn DSで聞いてみた。
FLACのエンコーダは下記Webを参考にして入手した。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/yama-k/codec/flac.html

 時間がないのでまだ2枚分(Art Peppaer meets the Rythm section と African Piano/Dallar Brand)しか変換していないが

 当然のことながらwav→aac128k→flac(今まで聞いていたもの)よりwav→flac(今回のもの)のほうが良い。

 African Pianoは元の音が多少荒れていることもあってaac版でも意外に健闘してよい音。アナログの雰囲気を良く伝えている。

 Art Pepperは両者の差が際立つ。wav→flacを聞くとうっとりとする。

 残りの20枚弱の変換をして聞くのが楽しみだ。

 wav化はONKYOのUSB Audioで行なった。44.1kHz/16bitで行なっている。次回は96kHz/24bitでLPを録音しflac化して聞いてみたいものだ。でもこちらにはアナログプレイヤーも無いし、もっと先のことだ。

2009年4月27日月曜日

ヨガ教室

近くにコミュニティセンターがOpenした。

ヨガやバレエ、音楽などのスクールがある。

かみさんはここでヨガのクラスに通うことにした。

また5月にはLinn Recordで有名なCarol Kiddがここでコンサートをやるのでチケットを購入した。

http://www.linnrecords.com/artist-carol-kidd.aspx



かみさんはここでバレエのクラスにも通いたいそうだ。

2009年4月25日土曜日

Dog Trustへの寄付

Chrlieのごはんはユーカヌバのドライフードを使っていた。
ほとんど食べずに残っている。
近所で犬を飼っているカレンに、良かったら使ってもらえないか?と聞くとDog Trustに寄付したら?と言う。 やはり犬の飼主は自分の犬にはこれと決めた食事しか与えないのだ。

今日調べてみると近くにある。
http://www.dogstrust.org.uk/rehoming/our_centres/westcalder/

早速行って寄付して来た。いろんな犬が居て犬舎を除くとワンワンと吠えた。さびしいのだ。
彼らに食べてもらえれば嬉しい。彼に良い飼主が現れることを祈ってDog Trustを後にした。

これじゃあいけないね。

Charlieが亡くなってからどうも元気が出ない。
少しずつCharlieが居ないことに慣れてくるのだが、そのことも悲しい。
このブログも書く気力が無くなってしまいしばらくご無沙汰。
でもそんなことしているとCharlieに笑われてしまうからどんなことでも いいので書いてみよう。

4/22
休みを取って領事館へパスポートの申請に行って来た。
ついでに休みを取らないとできないことを全部やって来た。
そのひとつがピアノのレンタルの件だ。

ピアノをレンタルしているショップには口座引き落としの書類を出してあるのに いまだに一回も引き落とされたことが無い。

しかも先方からは何の連絡もない。いつもこちらから連絡してどうなっているか確認し、小切手を送る。
しばらく連絡していなかったし、引き落としもされていないので今回店に行って直接小切手を渡して来た。

店の親父がいうことには私の銀行口座が銀行で確認できないために引き落としの手続きができないそうだ。
普通なら私の書いた引き落とし(Direct debit)の書類に間違いがあると疑って私に連絡するはずなのにそれをしない。
私が直接聞いても銀行が悪いという一点張り。

見かねてこれからは毎回3ヶ月ごとに前払いするからと言ってやった。
本当に人が良いというか商売が下手というか不思議なおじさんだ。

かみさんはそのショップにベーゼンの20年物のピアノがあるのを見つけて
早速値段を聞いていたが我々には手の出る値段ではない。
それでもかみさんは興味津々だ。

ピアノショップは植物園(Botanic garden)の近くにあるので少し散策して来た。


かもと鳩とリスが同居。近づいても逃げない。のどか~

木の葉っぱが茂ってきた。美しい。




植物園からのエジンバラ城

つつじが綺麗
石楠花も綺麗!いろんな石楠花が咲いていた。

2009年4月20日月曜日

ネス湖・グレンコーへの小旅行(2)

 翌朝(3/19)出発前に散歩。聖アンドリュー大聖堂に行く。 http://www.invernesscathedral.co.uk/
 
 礼拝(worship)の準備をしているところだったが中に招じ入れてくれ、色々と話しをしてくれた。暖かい雰囲気のいい教会だ。 Charlieの冥福を祈る。
 
 洗礼(baptize)をする台。Mさんの娘さんもここで洗礼を受けたそうだ。Mさんは新婚当時この近くのFlatに住んでいた。
 
 インバネスの街から30分足らず.ネス湖ビジターセンターに到着。おちゃめなネッシー
 
 1時間ほどのネス湖クルーズ。湖上からのアーカート城。 http://www.castles.org/Chatelaine/URQUHART.HTM

 1230頃築城。1290年頃イングランド軍に破壊される。無事に残っていればシオン城のような雰囲気だったかもしれない。
 天気が良く風も無くて最高だった。
 
 ベンネビス醸造所。残念ながら休み。奥に見えるのはベンネビス?次回はベンネビス(英国の最高峰)にのぼりたい。今日のように天気に恵まれることは無いだろうが・・

 ネス湖を後にしフォートウイリアムで食事をした後、グレンコーへと向かう。
谷の入り口からして何かすごい感じ・・・  
 快適な道をドライブ。写真ではその凄さが1/10も伝えられない。

 よそ見運転はいけないんだけど・・ ついつい見とれる

 車を止めて写真撮影  本当に素晴らしい景色だ。

 グレンコーを過ぎてもさらに素晴らしい景色が続く。車でなくて歩いて回りたい場所だ。
時速70マイル(約110km)で走っていても追い抜いていく車やバイクがいる。怖いもの知らずだ。  
 山岳地帯を抜けて田園地帯に。今回の旅でいたる所で子羊を見た。この季節は子羊が生まれる季節だ。今は母親と一緒だがすぐに引き離されてしまう。可哀想・・・

 かみさんも少し元気になったようだ。ドライブの途中お腹が空いたらむくれたりして普通のかみさんに戻って来た。それはそれで困るが普通になって来たことは良いことだ。

ネス湖・グレンコーへの小旅行(1)

 Charlieが亡くなってからというもの、かみさんはずっと落ち込んでいる。

 外に出て気を紛らわせるのがいいと思い4/18~4/19の二日間スコットランドの北部(ハイランド地方)のミニ旅行を計画した。

 素晴らしいに天候に恵まれて、快適な旅であった。旅の間Charlieのことを忘れたわけでは無いが少し心の持ち方を変えることができたと思う。

 カロードゥン古戦場に行ったが入場料が高く入るのをやめた。
http://www.undiscoveredscotland.co.uk/inverness/culloden/


 コーダー城にも行ったが5月にならないと公開しないとのことで退散
http://www.cawdorcastle.com/


 ネアンの浜辺に行き素晴らしい景色を楽しむ。
http://www.undiscoveredscotland.co.uk/nairn/nairn/index.html



 犬を連れて遊びに来ている いいなあ Charlieを浜辺に連れくること無かったなあ・・・


 犬達が私達のところに寄って来る。私達にCharlieの気配を感じるからかなあ?

 インバネス http://www.inverness-scotland.com/ の宿にCheck inした後周りを散策。
小高い丘の上に立つインバネス城は現在は裁判所として使われている。

 インバネス城からインバネスの街を見下ろす。素敵な街だ。

 街は綺麗。エジンバラとは違いゴミが落ちていない。後でMさんに聞いたところ(彼女はインバネス出身)6-7年以上前は街は汚かったそうだ。それ以降街を綺麗にする活動により今のようになったそうだ。エジンバラだってやれば出来る!

 マスタード・シードというレストランで夕飯を食べた。
http://themustardseedrestaurant.co.uk/  牛のフィレ 美味しかった!

 かみさんはモンクフィッシュ(鮟鱇)これも美味しい。この店は当たりだった。

 夕飯の後街を散策。インバネスの街はなんか北欧をイメージさせる。街を歩く人も北欧系の顔立ちだ。ノルウェーと近いからバイキングの末裔が居るからだろう。本当に落ち着く街だ。

 ここが宿泊したGuest House.お勧めです。
 ネス川(英国最短の川 10km)に沿って散歩する。気持ちがいい。

2009年4月19日日曜日

Charlie旅立ち

かみさんのメモより

4月9日
6時に起きてChalrieのためにおかゆとトースト、ヨーグルト、ドックフード、のりまき、玉子焼きなどのCharlieの好きだったものを口につけた。
これから長い道のりだから沢山食べておかないとね。元気で行きなさいよ。気をつけてね。
裏庭の塀ごしに高い木があり私はその天辺からCharlieが見ているような気がした。
最後のお別れを元気でねとそしてありがとうと・・・ お父さん、おばあちゃん、おじいちゃん、ご先祖様、どうかCharlieが無事に天国にいけますよう、お願いした。
本当にこれでお別れなんだと思うと悲しくて悲しくて亡くなる前にずっと外を見ていたCharlieの姿が目に浮かぶ。
9時15分に友人の一人がお子さんを連れてCharlieの出棺のお手伝いに来てくれた。
9時半に今日付き添ってくださるご夫妻が迎えに来てくれた。
家の前のペイニーという黒ラブちゃんもお別れに来てくれ奥さんが
”I'm so sorry. Peney loves Charlie"と言ってくれた。涙が出た。

10時半にセレモニーセンターに到着。従業員は優しくて元気がある人達だった。
Chalrieと最後のお別れをする。これで本当にCharlieとのお別れだ。
次に会うときはAshになっていると思うと大声を上げて泣いてしまった。
2時に来てください、と言われ引き裂かれるような思いで一旦セレモニーセンターを後にした。

今まで小雨交じりの曇り空が一変して晴れ間が見えた。良かった。
Charlie気をつけて行くんだよ。風が強いからうまく乗ってね。心の中で祈る。

そして付き添ってくださったご夫妻と精進落しをする。
その間いろんな話をすると心がほぐれてきた。このご夫妻は本当に犬好きで飼っているわんちゃんを戸籍に入れたいと言っているくらい。動物の持っている力は本当にすごいよと最後まで自力で立つ、それができなければ尻尾を振るのだそうだ。それを聞いてCharlieにもあてはまることを思い出した。ますますいとおしい。そうだったんだね。Charlie!最後まで一所懸命あきらめることなく生き抜いたこと私は見習いたい。本当に見習いたいと今そう思った。

二時少し前にセレモニーセンターに到着。
つぼに入ったCharlieが待っていた。あんなに大きかったCharlieが小さなつぼの中に・・・

家に帰ると元気だったCharlieがママおかえりといった姿が見える。
その夜フト目が覚めるとCharlieが立っていた。でも悲しそうな顔で・・・
辛かったんだね。Chalrie 本当にごめんね。分かってあげられなくて。パパに会わせてあげられなくてごめんね。

夢だったらいいのに・・

かみさんのメモより

4月8日 曇り
横に眠っているCharlieは冷たい。でもお腹はかすかに温かいし柔らかい。
朝いつも通りに起きてCharlieのおかゆを炊いた。日課になってしまった。

9時 お世話になっているご夫妻より火葬の段取りの電話があった。
明日11時から予約が取れたとのこと。

こちらは一般的に亡くなったPETは合同で火葬するそうだ。したがってたとえ翌日に火葬になったとしても灰(骨ではない)を受け取れるのに日数がかかるそうだ。はたして自分のPETの灰かわからないそうだ。ちいさな子は灰すらのこらないそうだ。

Charlieは個人でやっているPETセレモニー(火葬場)にお願いすることにした。
ここは一体づつの火葬で3時間後に灰を受け取れる。でもLanarkという私一人では行けない遠い場所なのでこのご夫妻が会社を休んで付き添って行ってくださるとこのこと。

主人もなんと言って感謝していいか言葉が見つからないと電話で言っている。

英語ができない私に代わってVET、主人の会社のMさん、そしてセレモニーセンターと全て段取りをつけてくれたのである。

その上今日もCharlieの棺を用意してくれ花を飾ってくださった。
CharlieはSnowmanの毛布に白雪姫のように花で囲まれた。本当に眠っているかのよう。

私はCharlieが無事に天国に行けるよう、私のお守りとCharlieへの感謝の気持ちを綴った手紙を持たせた。
午後友人達やその子供さん達が花やChalieの好きだったお菓子を持ってお別れに来てくれた。

その様子を見て私は夢だったらいいのにと・・・

2009年4月16日木曜日

さよなら&ありがとう Charlie!(7)

かみさんのメモから 
4月7日(火)曇りのち晴れ

パパが帰ってくるまであと3日!

今日は朝からCharlieの元気がない。歯茎は白い。いつもと違うのは先ず食欲が無い。ササミ食べない。牛もさほど喜ばない。ちなみにドッグフードをあげたら食べた。なんかやだな。

x-dayでなければ良いが、、 私が食事をしていても見向きもしない。

庭に続く戸を開けると外の匂をかいだり空を見ている。

午後やっとおしっこが出る。3回目は私がうとうとした後、Charlieが外へ出してとわたしを促した。おしっこの後に家の中に入れずダウン。やっぱりおかしい。歯茎は歯の色と同じく位白くなっている。10分くらいかけてやっとのことで家に入れた。
夕方いつもお世話なっている奥様が私に夕食を届けてくれ、「今日はCharlieに会わせて!」といい会っていった。「今日は元気がないね。心配だからついていたほうが良い」とアドバイス。

Charlieの夕食。食欲がない。牛を3切食べただけ。とても不安。
6時頃
食べた牛の一切れを吐く。変だ!

8時
今日からは家の中でトイレができるように準備する。それを見ているCharlieは弱弱しい。寝る準備をしてダイニングに戻るとうんちをしていた。「おりこう!」今日は全く出ていなかったのでこれで少しは楽になるだろう。

9時
呼吸が苦しそう。そして浅い。その都度頑張れ!と声をかけてずっとついていた。

10時
いつもと違う呼吸だ。肺とおなかの動きが反対。見たこともない。お腹から変な音が聞こえてくる。あきらかにおかしい。そのうちウンチが出ておしっこも出てきた。「Charlie 死んじゃうの・・・?」

10時20分
目がうつろ。苦しそうな状態が続いている。

10時25分
急に苦しそうに顔をゆがめる。口元が痙攣を始めた。こんなCharlieを見たことが無い。「苦しいの?もういいよ。もういいよ。眠っていいよ。ありがとう。」もっと早く注射を打ってもらえばよかった。危篤の時に呼び戻さなければよかった。Charlieを苦しめた自分が情けなかった。Charlieをパパに会わせたいがためにCharlieを苦しめて来た。Charlieごめんね。

10時30分
Charlieは私の腕の中でふっと眠りについた。とても安らかな顔だった。今までのことから開放されたかのようだった。

今思えば昼間外を見ていたのは「もうそろそろいでしょ?」と言っていたのか?お別れが来るの察してこの家、この風景、この空気にさよならを言っていたのか?


2009年4月7日 午後10時30分 Charlei 10歳3ヶ月 さよなら。

2009年4月15日水曜日

小さな幸せ

 先月ブログ村を見ていたらひょんなことで倉敷にあるおそばやさんのブログが目にとまった。そう言えば私の小学校の時の友達が5年生の頃倉敷に引越したのだ。彼のお父さんが倉敷でそばやさんを始めることになったからだ。仲の良い友達が引越しでしまい寂しかったことを思い出す。もしかしてこのそばやさんは彼のところ?もう何十年も会っていないので誰がそばやさんを継いでいるかも分からない。

 連絡を取ってみたらなんと私の小学校時代に仲が良かった友達が店を継いでいることがわかった。日本出張、Chalrieのことなどあり最近やっとメールでやりとりができた。

 Charlieのことがあり落ち込んでいるが、すごく懐かしい記憶が蘇ってきて幸せを感じている。

 信州そばは全国的に見てもすごく美味しいと思う。彼のお店はその真髄をお父さんの代から倉敷で伝えているのだ。日本に帰ったら彼の打ったそばを食べに倉敷に行きたいと思う。
 http://azumi-soba.jp/

さよなら&ありがとう Charlie!(6)

かみさんのメモから

4月3日(金)晴れ
危篤から一週間。
夜中1時にCharlieが立ち上がる気配を感じた。トイレ?家の中でも良いのに外を見るので出してやる。
思ったより外は暖かい。おしっことうんちもできた。すぐに家の中にささえながら入れる。倒れこむ。
危篤の後もう歩くことがかなりしんどい。Charlieの手首は内側に曲がってしまっている。
排泄できたことで随分楽なはず。私も、、


水をスポイトで飲ませ毛布をかけて手を繋いで寝る。朝の6時前にまたおしっこが出た。良かった。その後歯茎のチェック。出血のため少し白い。

Charlieが寝てる間に今日一日分の食事を作って配分する。
そうしないと食べさせすぎたり足りなかったりになるから。目分量で一回分の量を決めることにした。排泄と食事の間は最低でも1時間は空けたい。

自分の朝食をとる前に眠くて1時間ほど寝てしまった。
今は玄関のチャイムが鳴ろうものなら大変になるので”please don't chaime”と貼り紙をしてある。(Charlieは立派な番犬。チャイムが鳴ると吠えて知らせてくれる。興奮すると症状が悪化するのでチャイムはご法度)

 今のCharlieの食事はあの事故http://tkmtet.blogspot.com/2009/03/charlie321.html#links以来ささみのおかゆにパンを乗せてみたり、ヨーグルト・豆乳にパンをひたしてみたり、あと人の食べるビスケット、そして恩人のご夫妻から教えてもらった牛のフィレ肉の生。これは体調の悪いときにとてもいいそうだ。試してみると食べること食べること!そりゃそうだ。ローストビーフの最高のところ!私もちょっと切れ端を、、美味しい!美味しいよ!

2009年4月14日火曜日

さよなら&ありがとう Charlie!(5)

順番が前後してしまうが私が帰英後の4/11

Charlieとかみさんのことを助けてくれた日本人の方々や会社のMさんの所に日本からの お土産を持ってお礼に行った。
なんと言って感謝すればいいかわからない程お世話になった。

その後VETへ未払いのお金を払いに行った。3/22も緊急入院の時のものだ。
週末なのでBillやAnaは居なかった。宜しく伝えてねと受付にお願いした。
このVETにはもうお世話にならないのかとと思うとむなしい。

午後、いつもCharlieと散歩した丘をかみさんと一緒に歩いた。
天気がものすごく良い。木々の葉が出てきて清清しい感じだ。
草も冬に比べたら鮮やかな緑色に変わってきた。
良い天気と春の景色が私達の目に眩しい。そして周りの景色が素晴らしい程 Charlieと一緒に散歩できないことが辛く感じられる。


Charlieと散歩した日々を思い出すかみさん。

Charlieの写真を持ってきた。Charlieもこの景色を楽しんでいる筈。
いつもおしっこをひっかけていた石の上で記念撮影。

散歩の途中、沢山の犬と出会う。「健康で長生きしてね!」と心の中で声をかけながらすれ違った。

2009年4月13日月曜日

さよなら&ありがとう Charlie!(4)

今回もかみさんのメモです。

4/2 木曜日 晴天

あと8日。今朝も3時にCharlieに水を飲ませる。すぐに歯茎をチェック。白い。夕べから元気がないので心配。

Charlieは今日は全く起き上がれなかった。また食べものの嗜好もさらに変わってしまった。昨日好んでいたものが今日は嫌がる。

Charlieはお腹以外全く痩せてしまった。背中はゴジラのようだ。もう最後の力を出し切っているのかもしれない。

でも「Charlie!パパが帰るまで頑張ろうね!」というと尻尾を振る。それもだいぶ弱々しくなって来た。

今回のことで頼りにしていた友人が明後日から日本にホームリーブする。明日はその準備があるので今日はお別れのつもりで来てもらった。彼女は本当にCharlieを可愛がってくれCharlieを預かってもらったことがある。

彼女は5年前に愛犬のシェパードを白血病で亡くしている。だから人事とは思えないようだ。

私のこちらでの友人はCharlieの人脈で得た方々だ。

本当に素晴らしい天気だ。Charlieは外で遊びたいだろうな..

さよなら&ありがとう Charlie!(3)

今回もまた、かみさんのメモです。

3/31
曇りのち晴れ。朝起きて時計を見たら8時近くであった。あわててCharlieのご飯を作る。
ふと見るとCharlieは具合が悪そうだ。歯茎は白い。昨日あんなに元気だったのに、、


いつも通りササミのおかゆ。そしてドックフードをふやかしたもの。Puppy用の缶詰。
でも全く食べようとしない。どれも近づけただけで嫌がる。水も飲まない。
どうしたんだろう?こんなこと初めてだ。x-dayは今日なのかと不安がよぎる。
木に止まるカラスを追いやる。

私が朝食でヨーグルトとパンを食べ始めるとCharlieはじっと見ている。主人が毎朝パンの切れ端とヨーグルトの残りをやる習慣は覚えていたようだ。これは喜んで食べる。しかし昨日まで食べていた主食は全くだめ。一体何なら食べてくれるのか?

冷蔵庫を見たらおにぎりがあった。暖めずに口元に持っていったら喜んで食べた!よかった!
でもこれじゃあ栄養は足りないし、それならCharlieの好物のビスケットはどうか?

戸棚を開けたら反応した。ビスケットはびっくりするほど喜んだ。好きなものを存分に食べさせた。

結局今までつくったおかゆ類は全部捨ててしまった。何を食べさせたらいいか?友人に頼んでパンを買ってきてもらい水に浸して食べさせることにした。
水分を含んだものでないと排便の時が辛そう。

この期におよんで昨日からパソコンがインターネットに繋がらなくなってしまった。主人とのやり取りや大切な情報を得ることができない。会社のMさんに来て見てもらったがどうやらBTに問題がありそうだ。何から何まで・・・

ふと鏡を見ると右目の半分が真っ赤に出血している。そう言えば目の奥が痛い。知らないうちに私の体も悲鳴を上げていたのだと思ったら急に疲労を感じてしまった。

Charlieと共倒れか?と思った。「よし、今日は何がなんでも食べてやる!」と冷蔵庫の整理をした。

夜、今日初めてのおしっことうんちを庭でした。パンパンに張ったお腹が楽になったのか少し元気が出てきた。

明日からは4月。パパが帰ってくるいよいよカウントダウンだ。頑張るぞ!

手を見るとこんな時期にアカギレができていた。

2009年4月12日日曜日

さよなら&ありがとう Charlie!(2)

かみさんの3/28と3/29のメモを投稿します。

3/28
 Charlieが危篤になってから今日で一週間。できることなら時間を巻き戻したい。

 夜がとてつもなく長かった。息をしているだろうか?夜中に何回も手で触って確認したり、頭をさすったり。でも徹夜はできなかった。

 いつの間にか寝てしまい時計を見ると朝の5時。

 Charlieは? こちらを見ていた。良かった!生きている!

3/29
 夜中にサマータイムになる。

 とてもいい天気。無事朝を迎えられたことが本当にうれしく窓を開けるとCharlieは立ち上がって風の匂いをかぐ。

 夕べは12時、2時、4時そして6時とスポイトで水を飲ませた。

部屋が暖かいのでCharlieの鼻は乾燥してカラカラ。とにかくおしっこを出して悪いものを排出しないと、、

 今朝もCharlieのおかゆつくりから始まる。私が鍋を用意すると目で追って反応する。調子いいんだ。30分かけてごはんとささみのシンプルなおかゆを作った。こんなおかゆでもCharlieはとても気に入ってくれた。私が食べてもとても美味しい。何の味付けもしてないのに・・

 この何日かCharlieが一度に食事を取り、すぐにトイレに行ったので命取りになりそうになったことが何回かあった。いくらなんでも私も学習した。

 食事は数回にわけてゆっくりと食べるようにした。食後1時間くらいしてからトイレに行くようにした。

 しかし今日Charlieは食事の後すくっと立って大量のおしっこと少量のうんちをした。我慢できなかったのだろう。思わず「良かったね!」と言う。でもすぐ抱きしめないとフラフラで立っていられない。Charlieを抱いて家に入れて寝かせてやった。食事もトイレも命懸けなのだ。

 毎日、無事に朝を迎えられることが嬉しい。感謝します。

 夜日記を書いていると私の足を一生懸命舐めてくれた。こんなこともう二度とないと思っていたので涙が出る。「もういいよ。」と言ってもやめない。でもその後ぐったりと眠ってしまった。本当にいとおしい。なんとかパパ間に合いますように。



 おしっこするために庭に出たCharlie。めずらしく調子がいい。でもトイレの後は立っていられない。



さよなら&ありがとう Charlie!

なにから書いていいかさっぱりわからない。

心の整理と後で今のことを思い出せるようにするために書いてみる。
4月10日 11pm 長かった日本出張から家に帰る。かみさんと再会。

かみさんは思わず泣き出す。私もつられて泣き出す。
かみさんは「Charlieはパパを待っていたんだよ。私も一人で大変だったよ。」という思いで、私は「Charlieもかみさんも辛いのに本当によく頑張ったね」という思いを込めて抱き合った。

Charlieが居ればこんな時にはヤキモチで吠えるのだが、、


リビングに入って見ると灰になったCharlieが居た。
「今帰ったよ。ごめんね、傍に居られなくて。あの世で幸せになってね。」ということをCharlieの前で祈ったように思う。

Charlieは3/27に危篤になって一度呼び戻されてから本当に頑張った。かみさんも4/7まで全てをCharlieに捧げた。

Charlieは危篤になってから歩けなくなってしまった。それでもトイレに行く時は力を振り絞って立ち上がり裏庭に行った。排便は体力を消耗するのでその後地面に倒れこんでしまう。なかなか立ち上がれないので風邪をひかないように毛布をかけて庭で休む。この期間幸いにも雨がほとんど降らなかったので助かった。


今までドッグフードを文句も言わず好き嫌いなく食べていたCharlieだが危篤になってからは食べられないものや、食べても吐き出すものがあった。近所の日本人の方から教えていただき少量でも栄養があって消化がよい食事を与えた。Charlieにとっては生まれて初めてのバリエーションに富んだ美味しい食事だった。

ダイニングルームから裏庭を眺めるCharlie。ついこの前まで庭を走り回っていたことを思い出しているのか?これは亡くなる前日、4/6の写真。Charlie生前最後の写真だ。
4/7 朝から様子がおかしかった。ずっと目を閉じている。それでも残っている体力を絞り出すようにして裏庭にトイレに行く。

かみさんが「パパが帰って来たら一緒に散歩に行くよ!」というとふっと目を開ける。

それでも夜10:30 3-4分苦しんだ後スーっと力が抜けて逝った。

みんなが「Charlieはパパが帰ってくるのを頑張って待っていたんだよ!立派な犬だったよ。」と言ってくれる。それは本当にうれしいが、私を待つためにCharlieに辛い思いをさせてしまったかと思うとCharlieに申し訳ない。もっと早く帰ってやれば良かったと思う。

2009年4月8日水曜日

Charlie永眠 

4月8日朝7時かみさんからCharlieが永眠したとの電話あり。

Charlieは10:35pm 7th April/BSTに亡くなりました。 
彼の誕生日は1999年1月7日なので丁度10歳と3ヶ月

かみさんが見守る中、少々苦しんだそうですが比較的安らかに逝ったそうです。
彼は幸せだったと私たちは信じています。

私はまだ日本に居て彼を見送れなかったことが本当に残念。
かみさんには本当に苦労をかけてしまった。
でもかみさんは私の分もCharlieの世話をしてきちんと送ってくれた。

日本人の方に助けていただき明日、お葬式をするそうだ。
Charlieが天国へ行けますように、、、

2009年4月4日土曜日

Charlieママ Charlie危篤...

 3月27日

 今日はとてもさわやかな朝。チャーリーはお腹を上にして寝てる。朝5時30分に起きて、ささみ、メキャベツ、にんじん、ブロッコリーのおかゆを炊く。それと、いままでのドッグフードを水に浸してりんごのすりおろしも加える。

 食べてから、排泄のため庭に出す。ウンちゃんは固くて大変そうだ。終わった後、へたり込んでしまった。食事と排泄は時間を開けないといけないんだ。可愛そうな事をしてしまった。チャーリーごめんね・・

 VETのドクターは今まで通りの食事を、と言った。食べないと血がつくれないないから益々貧血になるという。でもチャーリーのお腹は妊婦さんのような膨らみだ。破裂しそうで怖い。ブリードしているんだろう。苦しくないのだろうか・・でも、食欲はある。


 午後、今回とってもお世話になっているご夫婦の奥さんが、私にと、夕食を届けてくださった。その間、チャーリーが興奮しないよう、部屋に閉じ込めておいたが、行ってみると、朝食べた物を殆ど吐いてあった。胃まで弱ってきているんだ・・

 夜8時。なんとなくCharlieの元気がない。オシッコもウンちゃんも今日は朝のみだ。しばらくさすったり、話しかけたりしていたが、なんだか呼吸が浅い。今までにない様子。

 不安になっていつもCharlieのことを気遣ってくれている友人とご夫婦に電話した。すぐに行くから!と言ってくれた。その間にもチャーリーは息絶え絶えだ。触るといつもより冷たい。そのうち目の周りの色が変わってきて口が痙攣してきた。

 「チャーリー!! チャーリー!!  だめだよ!そっちじゃない! チャーリー!!」このようなこと、叫んだと思います。時間にして20秒くらい? もっと短いかもしれません・・

 そのうちキョロっとした目を開けて、「どうしたの?」という表情をした。  目の周りの色も元に戻った。明らかに向こうに行きかけていたのだ。思わず9年前に亡くなった父の危篤の事を思い出した。

 電話して5分くらいで、ご夫妻と友人が駆けつけて下さった。いつもご主人は寝ている時間だそうだが今日に限って起きていらしたそうだ。チャーリーの歯茎を見て、「貧血がひどいね、毛布掛けて暖めてあげて」と。   

 皆でチャーリー、チャーリーと言いながらさすったり、撫でたりしてもチャーリーは薄目は開けているものの、空を見ている感じ。息も弱い。   

 その間私は、チャーリーの顔にしがみついて、「ママを置いてかないで! でも、ママを連れていかれても困る!」とか「死なないで!! 今までありがとう!」なんて、矛盾だらけな事を叫んでいたような記憶がある。  ひどいママだ。

 小1時間ほどしてチャーリーも安定した。どうか、お願いします。チャーリーをお守り下さい・・

 夕べはとてつもなく長い夜だった。夜中、息してるだろうかと、何回も確認したりさすったり、でも、徹夜はできなかった。いつのまにか眠ってしまった。時計を見ると朝の5時。チャーリーは・・こちらを見ていた。良かった!!生きている!!

2009年4月1日水曜日

Charlieママ インターネット回復!

昨日電話でインターネット回復の方法を連絡して幸いにも回復しました。、、よかった。

Charlieママからのその後の情報です。

3月24日
  夕べはとても不安で、もしかしたら今夜・・と悪いほうに考えながらねた。  チャーリーは布団にもぐったり出たり、私の足をなめたり、と落ち着かなかった。  また、じーっと私の顔を見て何か言いたげの様子。わかってあげられないのが歯がゆい。 

 5時に起きた。  朝の来るのが長い。熟睡できなかった。チャーリーが無事な事がわかったのでもう少し寝ていたかったが・・なにしろ、土曜日から、まともに  寝てない。

  それからチャーリーをオシッコに外へ。チャーリーは外の空気を吸って空を眺め、匂いを嗅ぎ、生きているぞ、と確かめているようだ。  私もこの日、チャーリーが朝を迎えられた事が本当に嬉しかった。なんて清々しいことだろう!

  それから朝ごはんを食べる。食欲は断然チャーリーが勝る。私はチャーリーのために、いつも主人がしてるようにトーストの頭の部分と、  ヨーグルトの底の残りをあげた。今までと変わりなく・・

  午後、大変お世話になったご夫妻が私の夕食を届けてくださり、別の友人はテスコにチャーリーの栄養になるものを、と買い物してくださり、  また別の友人は手助けになりたい、と言ってくださった。本当に皆さんにはなんと言って感謝したらいいのか。私はチャーリーを通して、と言う  か、チャーリー(動物)が人の心のあたたかさを教えてくれたと思っている。

  オシッコも良く出た。うんちゃんもまあまあ。  ただ、タマタマがすごく腫れている。かわいそうだ。こんな事になるんだったら去勢しておけばよかった・・

 どうか、今夜も無事でありますように・・